【世代を超えて】

『道徳に至りては
 人心を涵養するや漫漸緩をもって入る。
 故にこれを軽慢にする者多しとす』
          −井上 義彦「武道待望論」−

「天に唾する」ことは愚かな振る舞いとして知られています。
明々白々に、吐いたものが自分に返ってくるからです。

しかも、「すぐに」です。

悪い結果がすぐにやって来ず、
三年後だとしたらどうでしょう
ハードルが低くなった気がしませんか?

あるいは、自分が生きている間にはやって来ないかもしれない
敷居はぐっと低く感じられませんか?

本質的には天に唾をする行為と変わりないのに、
悪い結果がやってくるまでのタイムラグが長いため、
ついついたががゆるんでしまってることがあります。

アスベストを吸い込んだ翌日に
重度の肺疾患が発症するなら
全面規制は遠い昔になされていたでしょうし、
おおよそ環境問題と呼ばれるものは
今の半分くらいになっていたかもしれません。

一方、我が身に返ってくる結果が良いものだとしても、
はっきりとした結果が現れるまでのタイムラグが長いと
そのつながりを見失いがちです。

今あなたの人生に欠かせなくなっている
莫逆の友を莫逆の友ならしめたのは、
初めて言葉を交わしたときの
あなたの笑顔だったかもしれませんし、
ずっと昔、苦しんでいるときにかけた
何気ない一言だったかもしれません。

目に見えるものだけでなく、
形のない状況や人間関係なども
必ず何か原因となるものがあるからこそ今があります。

一日に一度、あるいは一週間に五分程度でも
自分を取り巻いているものが
どういうつながりから生まれてきたのか、
ほんの少し思いを巡らせてみると楽しいものです。
そして余裕があるなら、自分の一挙一動が投げかける
未来へのつながりを考えてみるのもまた、興が湧くものです。

毎日の行動に躍動感を吹き込んでみましょう。
できれば、それを受け取る次の世代を意識して。
【その他】 | 05:00 PM | comments (x) | trackback (x) |

【吉田竜児と桑田理論】

昔々の記憶ですが、
深夜にバレーボールの決勝戦が放送されていたので、
友人と恒例になっていた
長電話の肴にしながら見ていました

さわやか杯か春高バレーだったのか
まったく記憶が定かではないのですが、
貫通力のあるスパイクを打ち放っていた
吉田竜児という選手がずば抜けていました

奇麗なフォームの代名詞のように言われる
中垣内選手などとは少し違って、
彼の打ち方はやや癖のあるものでした。

ただ、「奇麗なフォームで打つよりも強烈なのでは?」、
そんな気にさせてくれるような
パンチのあるスパイクが放たれていました。

事実、その試合で(決勝戦なのに)
彼より凄いスパイクを打つ選手はいませんでした。

ジャンプサーブも独特で、
助走に入りながらボールを一旦手前に落とし、
それをまた受けてからボールを放り投げ、打つ。
イチローがバッターボックスに入るまでの
あの一連の「儀式」のような匂いがしました。

もちろん、そのサーブも強烈で、
ネット際から始まる
ドライブ特有の変化が一際冴えており、
エースも何本か取っていました。

試合後に荻野正二選手(今でも現役…!)から
勝利者インタビューを受け、
「ちょっと調子に乗りすぎました」と、
反省の弁らしきことを述べていた記憶があります。

そのインタビュー風景を見ながら
電話相手の友人と一緒に「荻野デカッ!」と、
荻野正二選手のデカさを笑ったりしていました(失礼…。

吉田竜児選手は確か185cm。細め。
一方、荻野正二選手。
197cm。
0.1トン!!(いや、当時はもっと痩せてたかも)
とにかく体格差がありありと見て取れました。

それから数年後くらいですか、
たまたまテレビで試合が流れてたので
しばらく見ていました。

吉田竜児選手は以前見たときの面影がまるでなく、
「普通」のフォームに。

面影がないといってもそれはフォーム面の話で、
活躍ぶりは変わらずでした。

「矯正されたのか?」とか
「う〜〜ん、残念だなぁ」などと
勝手にあれこれ考えてました。

ピッチャーに欠かせない基本能力、球速。
ここで明らかに劣っているので、
それを補うために毎年一種類ずつ、
球種を増やし続けた。

これが桑田真澄選手復活の原動力になりました。

バレーボール選手に欠かせない身長で
少しハンデがあった吉田選手。
そのハンデを埋めるために
ちゃんとしたフォームを身につけたのかな、と。

そんなことを考えながらこれを書いていたのですが、
どうにも記憶も定かではなく
バレーボール経験者でもないので、
足りない部分を憶測と推測と
希望的観測で埋めつつ続けます。

彼は身長が185cmのままだったので、
長くアタッカーとして活躍し続けるためには
ちゃんとしたフォームを身につけ、
左右、上下に柔軟に対応できるような
豊富なスパイク力を育てなければ。
指導者の方はそう思ったのでしょうか。

実際、長く活躍をしていたようなので、
フォーム矯正は大正解だと思います。

…長い割にまとまらなくなってきました。
#いや、まとまってないから長いのか

スポーツの一流選手の生き残り戦略と
企業の生き残り戦略を相似形に捉えると
発見が多くて面白いのではと思ったのですが、
まとめる能力が現在行方不明になっているので
もうこのへんで…。

昔の記憶が舞い戻ってきたら
次回は渡貫健三編をお送りします。
【スポーツ】 | 12:00 AM | comments (x) | trackback (x) |

【狂牛病、その第一人者の振る舞い】

"Alabama state(アラバマ州)"で
米国内三頭目となるBSE感染牛が確認されました。

米国農務省が言うには、この肉は
"have not entered the human food supply chain
(食物としては流通していない)"とのこと。

さて、ここで日本では馴染みの薄い人物紹介を


"Stanley B. Prusiner(スタンリー・B・プルシナー)"。

プルシナーが食べる牛肉は全て日本牛です。
アイオワ州はシンシナティで育ち、
ペンシルバニア大学を始め
米国有数の研究所で人生を歩んでいた彼が、
ある日突然、米国牛を口にしなくなります。

さて、それはなぜでしょうか?

1.NBAのスター選手である
 "Kobe Bean Bryant(コービー・ビーン・ブライアント)の父親同様、
 人生観を変えざるを得ないほど
 日本牛の美味しさに感銘を受けた。

2.米国牛を食べ過ぎて飽きた。

3.プルシナーは日本牛大好きな日本人を妻に持つ
 大変な恐妻家である。 

このプルシナーなる人物は、
1997年にノーベル生理学・医学賞を受賞した学者です。

蛋白質であるプリオンが病原性物質として振る舞うことを発見、
その功績を称えられての受賞となりました。

『医者の不養生』などとは縁のない学者です。

というわけで、
答えは1でも2でも3でもありません。

ウイルス研究者や学会から異端児扱いされて
共同研究者から見放されても、
蛋白質がウイルスの如く振る舞う異常行動を
単独で研究し続けた一学者の決断です。

#1と2の可能性はなきにしもあらずですが…。
【科学】 | 07:00 AM | comments (x) | trackback (x) |

【デフレファイター】

2006年1月期の
"core consumer price index(消費者物価指数)"が
前年比プラス0.5%と高い伸びを示したことをうけ、
日銀は来週中にも
"ultra-loose monetary policy(量的緩和政策)"に
終止符を打つ構えです。

この量的緩和政策は世界にも例を見ない、
まさに"unorthodox(異例の)"金融政策でした。

一部エコノミストたちの間では
「まだ時期尚早、四月まで待て」との声がありますが、
日銀の解除姿勢を支持する声も増えてきています。

というのも、銀座や六本木のみならず、
巣鴨などでも土地の価格が異常に高騰してきているからです。

現象の一部だけを取り出して
やれ「バブル再来だ」、
やれ「インフレの危機云々」と言いたくはないですが、
過剰供給を放置することは非常に危うい感があります。

かつての三重野総裁世代の日銀マンたちは、
インフレとの戦いの中でキャリアを培いました。

しかし、今の日銀マンたちは、
インフレのみならずデフレを味わうこともできました。
これは日銀にとってかけがえのない財産だと思います。

福井総裁だったか誰だか忘れましたが、
「今回の量的緩和政策は
 金融政策テキストの軽く一章分には値する」
などと言っていたと思いますが、
まさにその通りでしょう。

たとえば、数多ある世界の中央銀行の中で、
インフレターゲットを経験したことがあるのは
ニュージーランドとイギリスだけです。
しかも、デフレ下の事例ではないので
それをそのまま範とするには支障があるものでした。
それでも、政策関係者はデフレ脱却に向けて
そこから多くを学び取ろうとしました。

いつかまた同じようにデフレに陥った国家が
今回の五年に及ぶ日銀の財産から
何かを得ることができると良いですね。

また日本だったら大変ですけども。
【経済全般】 | 07:00 AM | comments (x) | trackback (x) |